風来坊@真幸福知

風来坊@真幸福知

始まりは坐禅会のご案内, 思いつくことを何でも書いていたら星空系に... Started with Zazen session info. now almost astrophotos. 시작이 참선회 안내, 이제 별하늘 사진들.

マスクをつけないという行動

3/13から政府によるマスクの着用についての「お願い」は完全に解除された. マスクの使用は個人の判断に任されるそうだ.

昨日は久しぶりにマスクなしで外出し商店やファミレスなどに行った. 店内にパンが籠で並べられているパン屋ではマスクを付けたが, 他のところではマスクをつけるのをやめた.

子が放った言葉の力も大きい. 「今やめなかったらいつやめるん?」確かにそうだ. マスクをつける理由を考えてみると, ほとんど「周りと同じにして目立たないように」である. コロナ禍以前はどうしていたんだろう? と「普通」を忘れてしまったような感覚にもなる.

飲食店はもちろん, 商店, その他公衆の行き来する場所でマスクを外せない「恐怖症」はいつまで日本の人々を支配するのだろうか?

一方で, 酒場などではもう随分前からコロナ禍なんか忘れたように, 食物のならんだテーブルを囲んでつばを飛ばしながら大声でしゃべる酔っぱらいの姿が戻っていたのも事実. しらふのときはひと目を気にしてマスクをつけ, 酔っ払ったらどうでも良くなるダブルスタンダードか?

周囲の人の話を耳にすると, 数人が集まった場でさえ「マスク付けなきゃ派」と「マスク付けない派」, かなりの温度差があるようにも思われる. 錯綜する情報に翻弄される人々の姿が現れる.

コロナ禍の中で, 以前なら気にもせずにいた「飛沫」や「換気」について, 多くの人々が気にするようになった.それは良いことかも知れない. 多くの人が買う食べ物が並べられた店舗などで, つばを飛ばして話すのはヨロシクないのは当然だ. マスクを付けなくなってもそういうマナーが定着すれば良いことだ. (往々にしてそういうのは忘れられるかも...)

イベントや会議での立食パーティはどうなるか? 食べ物を前にして「話す」のが目的そのものである. 適当に感染して世界人類に免疫を広めるのにも役立っていたのかもしれない, ということで復活するのか? それとも, この国では金輪際食べ物と会話は同じイベントで共存できなくなるのか?

風邪であれ何であれ, 全ての病気に死亡リスクはあるんだろうと思う. 相当の高齢になって亡くなる方たちはかなりの割合で, 感染による肺炎で亡くなると承知している. コロナ禍前の平成28年(2016年)の統計によると, 肺炎による死亡の実に97%は65才以上とのこと. また80才以上の死因別では, がんや心疾患に続き3位が肺炎とのこと.

高齢の方が肺炎で亡くなられるのは, 実は医療がどうにかして防げる(or 防ぐべき)ものでもなく, 自然の理だということを示している. 人は必ずいつか死ぬのであり, 穏当な死のひとつの形を変える必要はないのだから.

新型コロナ感染症が5類相当に変更される5/8まで, もし感染が起こったら休業を強いられたり社会的に取り沙汰されるかもしれない面倒を怖れ, 過剰と思っても安全策(社会的にも)としてマスクを付けるとか, 公の集会を避ける行動は続くのだろう.

個人的にはマスクの使用は相当の理由がない限りやめるつもりだ.

それで, 元々どうしていたんだろう?と自分流マスクの使い方を思い出して書き留めておく.

  • 乾燥した室内(ホテル, 飛行機など)で眠る時, 湿らせた木綿マスクを首を冷やさない首タオルと併用
  • 多人数が雑魚寝する所(韓国のチムジルバンや健康ランドなど)で, 感染を防ぐために使用
  • 風邪を引いたり喉を痛めたりしているときに喉の保護のため湿らせた木綿のマスクを使用
  • とても寒くて乾燥した屋外(茨城や韓国の冬)で喉の保護のため

こんくらいでいいんじゃないかな?

ここで, 「木綿マスク」といっているのは, 以前は日本にはなかった, 韓国式のこんなものである.

韓国は日本よりずっと冬が寒く乾燥していて, 以前からゴツい布製マスクがあったが, 日本ではコロナ禍前には不織布の花粉症用のマスクか, ガーゼの布マスクくらいしかなかった. その後, これを商機といろんなマスクが発売されて, 自動販売機の飲物のバラエティ(世界では話のネタにもなる)なみにバラエティに富んだマスクの品揃えになった. そこは日本製造業の真骨頂(?)かも.

 

数年間無表情で暮らし続けた顔に表情を取り戻すのはマスクをやめるよりもっと努力が要るかも.

 

【了】