日本政府が世界平和統一家庭連合(家庭連合, 旧統一教会)に対して, 前例のない宗教法人に対する質問権行使を6回も行い(それでも解散に相当する事由は明らかでないらしいが), マスコミと左翼系弁護士の一方的な扇動によって「旧統一教会の被害者救済法」と通称される法律(正式には「法人等による寄付の不当な勧誘の防止等に関する法律」)を成立させたことなど, 政府が従来の宗教法人に対する取扱いの前例を逸脱して特定の宗教法人への不当な差別を行っている状況に対して, 国際的な信教の自由の分野の専門家が連名で警告を発する意見書を出している.
この日本政府への意見書の全文がBITTER WINTER (中国の宗教迫害の問題への対応を主な目的とするメディア)で日本語記事として紹介されている.
この記事はUPFの魚谷氏のブログでも紹介されている.
この意見書の発信者として名を連ねるのは
- ウイリー・フォートレ (国連NGO「国境なき人権」ディレクター)
- ヤン・フィゲル (元欧州委員会教育委員, 元スロバキア副首相)
- マッシモ・イントロビーニエ教授 (イタリアの宗教社会学者, BITTER WINTER編集長)
- アーロン・ローズ博士 (ヨーロッパの宗教の自由フォーラム会長, コモン・センス・ソサエティ上級幹事)
の4氏でいずれも宗教・信仰の自由の分野の国際的な著名人. (各氏の詳しい紹介は, 上のリンクの記事の末尾にある)
宛先は岸田首相, 林外務大臣, 永岡文部科学大臣となっている.
何が日本で起きているのか, 日本の報道を見ていても分からない現代の自由民主主義の国際的スタンダードから見た視点が整理された貴重な意見書だと思われる. 心ある方々は, 是非とも上にリンクした記事をご一読いただきたい.
このような国際的な宗教専門家による日本への提言に対しての感謝の念のかたわら, 沈黙を守っている, または自分には関係ないと無視しているようにみえる国内の諸宗教団体に対しては幻滅するところが多々ある.
思うに, 日本に数多いる宗教家たちは「新法」の内容についてよく調べたりもしていないのだろうか? 日本の伝統宗教(鎌倉時代は新興宗教(笑))の大きめの宗門の中でも, どこからも批判の声は聞こえない.
新法の全文はここにある↓
この法律は, 法人等が寄付を募る場合に, その方法に不当性があるならば寄付を取り消すことができるというもので, その不当性は以下のような場合に認められるとしている.
(第4条に示される寄付勧誘の方法における「禁止行為」の要約)
- 寄付の勧誘を自宅や会社に来てする場合, 出て行けと言っても出ていかずにしつこく勧誘する
- 法人等の建物などで勧誘するとき, 勧誘を受ける人が帰ると言っても帰さないで勧誘を続ける
- 寄付の勧誘をすることを告げずにどこか帰るのが容易でない場所に連れて行って勧誘する
- 寄付の勧誘を受ける人が第三者に電話などで相談しようとするのを脅して妨害する
- 寄付の勧誘を受ける人に恋愛感情などの好意を抱かせ, 寄付しないと関係が破綻すると言って脅す
- 「霊感その他の合理的に実証することが困難な特別な能力による知見」に基づいて, 寄付をしないと悪いことが起こるという不安をあおって勧誘する
以上が第4条の1〜6号で, こういう行為による寄付の勧誘で「困惑」して寄付を承諾した場合には取り消すことができるとしている.
取り消しの有効期間は, 追認※できるときから1年間, 寄付の意思表示から5年間となっている. ところが, 6の場合に限って, 追認できるときから3年間, 寄付の意思表示から10年間としている.
※「追認」とは, 未成年者や成年被後見人などの保護者(法定代理人)が, 行為を取り消さないとして契約などを確定すること, のようです. (未成年者が成年になるなど, 本人が契約できるようになったときに追認することも可)
1〜5号が悪いのは当然のことだが, 宗教的視点で問題となるのは第6号だけが特別扱いを受けていることである. つまり, どうみても接客(?)上の問題があるとしか思えない1〜5に対し, 6は「霊的な問題」に関わる価値判断というとても宗教的なことを対象としていて, その場合の取り消しの有効期間が, 他の不当性が明らかな場合の倍もある.
また, 「合理的に実証することが困難」なことによる「不安」を寄付の理由としてはいけないとしているのは, 宗教的な寄付行為そのものの否定ともとれる. 「不安をあおり」「不安に乗じて」という表現が使われているので, ことさらに不安をあおるのではなく「先祖供養のために寄付しましょう」くらいならセーフなのかもしれないが, 人々の信仰心は元来, 「疎かにすると罰が当たる」「悪行すれば悪報がある」などの素朴な不安をその要素として内包しているものだから, 第6号の文言はどこまでならOKでどこからがアウトなのか, 全く基準が曖昧でもある. そういう意味で, 宗教的な寄付行為そのものを否定する危険を孕んでいる.
もちろん, 虚偽でもなんでも理由をつらねて不安を煽ってお金を出させるのは良いことであるはずはない. しかし, 第6号の曖昧な判断基準によって, 目に見えない世界のことを話題にした寄付の勧誘そのものがタブーになれば, それは思想・信条の自由の蹂躙ではないか?
それに「合理的に実証することが困難」という文言にも異議を唱えたい. つまり, 霊的な問題は実在するならば必ず目に見える現象として現れる. 伝統的宗教が「因果応報」や「喜捨の功徳」について共通の認識をもっていることからも, 人類の経験知として合理性が認められているのが宗教的な価値ではないか? この法の文言は「合理的」ではなく「即物的」「世俗的」とでもすべきところだ. 「霊感など」を一概に「合理的」でないとするのは, 唯物論者の発想であり, この法律の成立過程でその影響が濃厚であることが一目瞭然である.
お寺では, 葬儀の後で故人の冥福を祈る「追善供養」として数十万円の寄付を受けることがある. 説法の中でいくら寄付しなさいなどと言うことは(たぶん)ないが, 追善供養をないがしろにすると良くないかも...という「気持ち悪さ=不安」から寄付した人が, 何年も後になってから, 「あれは説法を聞いていて寄付しないとバチが当たらないか不安になって寄付したので不当な勧誘だ」として取り消しを求められたら, 寄付の意思表示から10年までの期間ならば返金に応じなければならない.
この「新法」はそういうふうになっている. 信仰心からの寄付を受ける宗教法人であれば, 誰もが「10年後まで返金を求められるかも知れない」というリスクに対処しなければならない. 一定以上の額の場合に, 新法に示された禁止行為による寄付勧誘がなかったことを証する署名入りの文書でも作って残さなければならないのだろうか?
寄付・献金は, する本人からすれば「神・仏に捧げる」厳粛な思いをもって, 誠の表現としてのお金を捧げるのである. それを受け取る場で「旧統一教会被害者救済法に規定される禁止行為による寄付の勧誘を受けていません」という文書にサインしてもらえとでもいうのだろうか? 全くダサくて馬鹿げた話だ.
この国の信教の自由のために【祈】