11年めの3.11, 各地で祈りが捧げられたようですね.
18000人以上の犠牲者の皆様の冥福を, そして被災地の復興と原発事故現場の処理作業の安全を祈ります.
日本は当時, 戦後最大の危機の中で多くの人が生死の境を見, 行動し, 祈りました. 私を含め多くの人々が, 自然の力の前にあって人間の小ささ, 文明を過信し人間の事情を過大評価した愚かさ, 理性と感情の間での意思決定の困難さを痛感したのではないかと思います.
一方で, 個人として何もできない時にも祈りはできること, 祈りの環は目に見えず, その結果も直接形として見えないかも知れないけれど, それはどこかで誰かを力づけ, 何かを動かし, 希望の種を芽吹かせる地下水脈となり得ることも, 感じた人は多かったのではないかと思います.
危機の中で人は本来の霊性を目覚めさせ, その力が発揮されるということはあると感じます.
今は, 世界が未だ新型コロナ感染症という災禍の中にあり, そして先日からはロシアによるウクライナ侵攻という, 青天の霹靂のようなことが起こっています.
コロナ禍は人間の努力が効いたのか効かなかったのか, とにかく3年を経て収束の方向にはあるようですが, 戦争は国連による世界秩序の欠陥と民主主義の限界を露呈したまま進行しています.
ウクライナの人々の犠牲が大きくならないように, ロシアが鉾尖を納め, ウクライナが滅びないで両国が共存できる道が開かれることを祈ります.
祈るしかない時が再び来ている.
=祈=