風来坊@真幸福知

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始まりは坐禅会のご案内, 思いつくことを何でも書いていたら星空系に... Started with Zazen session info. now almost astrophotos. 시작이 참선회 안내, 이제 별하늘 사진들.

「神を信じる?信じない?」世界の統計の記事

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コロナワクチンの2回めを昨日打ったら, 今日になってから頭痛と発熱でボーッとしている. そんな時に, 知りあいの方がFacebookでシェアしてた記事がおもしろかったので読んでみた.

PRESIDENT Onlineの記事: 日本の若者が信心深くなっている…旧共産陣営ロシア・ベトナムと並び「神の存在を信じる人」増加の謎

「世界価値観調査」の話.

日本では神を信じている, 信じていない, わからないが各々3〜4割で拮抗していると言える. 「わからない」の割合は世界でいちばん高い.(記事の図表1)

東洋でキリスト教の宣教もあまり成功しなかった国として, そもそも有神論 vs 無神論への関心も薄く考えてない人が多いということなのかも. また, 大多数が習慣的に宗教に触れながら(神社参拝, お葬式, クリスマス), その本質は考えなくても生きていける社会環境なのかもしれないし, 普段の話の中で政治と宗教の話題は避けるのが波風立てない生活のきまりみたいになってる(宗教的なスタンスを明らかにする必要がない), というのも効いてそう.

年齢別の分布について, 若者のほうが高齢者より信じる割合が高い, 信心深いということに「謎」と著者はタイトルをつけているが, 私の感覚からは当然の事実を表しているように見える.

記事の図表4を見ると, 団塊の世代とそのジュニアが無神論的, 私の入っている新人類といわれた世代とそのジュニアは信心深いという, 縞模様の構造が見て取れる.

戦後の高度経済成長とともに共産主義学生運動が吹き荒れた世代が団塊世代, 「リベラル」=「インテリ」=「宗教なんて」みたいな風潮の中で青春時代を過ごした皆さんということで, 身近な方々(親戚, 上司など)の話題の中にもそれは感じてきたところ. もちろん世代の示す傾向の中でも個人差の幅はとても大きく, みんながそうだということではない.

対して, 私の世代とは, 学生時代からその後にかけてオウム真理教事件, そして統一教会(現:世界平和統一家庭連合)による祝福(合同結婚式)がしばらくの間ワイドショーを賑わしていた, 話題の人たちを含む世代である. 好奇心や求道心のままに考え行動する友人たちには, そのどちらかに接触した人も多い (私は後者). 私の世代というのは共産主義学生運動が吹き荒れた後, 思想とか理想とかそういうのには興味を失って個人主義的になり, 恋愛とか趣味とかに没頭したニューミュージック世代のなれの果てであると同時に, 考え悩む暇をもてあまして存在の意味とか宇宙論とか死後の世界とかに行っちゃった, どこかの国の王子様のような世代なのかもしれない(学生時代はバブル期). そして, 宗教についても伝統的・慣習的な宗教からちょっと切り込んた本質を求める環境があったのかも知れない. 今, 社会に定着しつつある新宗教, 新新宗教を構成する世代とも重なっていると思う.

さて, 他の国にもういちど目を向けてみると(記事の図表1)...

衝撃的なのは中国が「神を信じている」がダントツの最下位であると同時に「分からない」がほぼない, 世界最大・最強の無神論国であるということ(これは, やっぱり...という気もする). そしてそれと同時に, 同じ中華民族である台湾では「神を信じている」が8割というコントラストである. 台湾は先進国の中で最も「神を信じている」割合が高い米国とも似た構成となっている.

となりの韓国は... 日本が併合していた時代から戦後まで熱烈なキリスト教の興隆があったことは知られている(日本の弾圧の被害者となったのも神社参拝に従わなかったキリスト教徒が多いと聞く)が, 「信じている」4割に対して「信じていない」6割となっている. 宗教性が高いと思ってたので, これはちょっと意外である. と同時に, どこか予想できた感もあり, 危機感も感じる.

2017年に朴槿恵大統領が「ロウソクデモ」で引きずり降ろされて文在寅大統領が誕生したあたりからの動向を見ていると, 宗教的な許しや忍耐や寛容は社会的な不満や恨みに圧倒されてしまったような気がしていた. 当時韓国の大学で仕事をしていたが, 学生たちの中には熱心に教会に通う子もいて, 当時の世情について話してみると, 信仰者としてはあのようにデモで自国の大統領を引きずり下ろすというのは良くない, 許すことが必要と思う, というようなことを言っていた. 「被害者」への共感と同情に富む厚い情緒は, 宗教などの示す基準や俯瞰的な視点を忘れると「恨みの情」に絡み取られてしまう危険を孕むように思う.

宗教性を持つ人々は文在寅大統領を支持しない, 保守派が多いかも知れないが, 韓国の社会はよく知られるように中堅を占める「586世代」(60年代生まれ, 80年代の民衆化闘争を学生として経験)がリベラル傾向で, 日本の団塊世代と似た性格をもっている. 韓国の今後がどうなるか...果たして, 新しい世代は, 社会的軋轢を離れた自由と, 人間元来の宗教性を得ることができるのだろうか?

 

頭痛薬のイブを飲んだら頭痛がおさまった.

Zzzz...

 

PS. 書いた後で学生時代のことを思い出してみると, 幸福の科学の宣伝もさかんに行われていたし, 親鸞会の学生ともつきあいがあったが, 彼はどうしてるかな? 親鸞上人のアニメを見せられたことがある. そうかと思うと, 常に作業用の安全靴を履いてる(デモで脚を踏まれても大丈夫なように)共産主義系の学生運動をしてると自称する学生もいた. 最近の学生たちはどうなんだろう?