7月に韓国の大学院生(原子力専攻)の福島見学を案内したことを書いた. 実はその後, 津波の被災地を辿ってみた.
自分はあの大震災の後, 職業柄長い間原子力事故のことを考えることに懸命で, 津波による多くの犠牲者を追悼する機会を持てずに過ごしてきた感覚があった. 今回の見学案内を通訳(技術以外の)として手伝ってくれた娘もまた, 当時留学していて水戸の自宅には居なかったので, 自分が直接体験しなかった出身地近くの震災というものに向き合う機会を求めていた.
それで, この機会に二人で東北海岸を北上しながら津波の慰霊碑のある所を訪ね慰霊の祈りを捧げることにした. 富岡から陸前高田まで.
学生さんたちの研究施設見学の案内を終えてから一行と分かれ, いわきでレンタカーを借りて出発. 最近帰還が進んでいる富岡から... ここには東電の廃炉資料館, JAEA等の研究施設などがあり, 災害のことを記録するアーカイブ施設の建設も予定されている.
さくらモール: 双葉警察署の対角, 東電廃炉資料館の向かいで2018年に営業を初めた商業施設. フードコート(カレー, ラーメン, うどん, 定食), ヨークベニマル, ツルハドラッグ, ダイユーエイト(ホームセンター)が入り, 仕事をする人々の台所, 戻ってきた人たちの買い物で賑わう. 名前が示すようにこのあたり桜が有名らしく, 桜並木の写真パネルが並ぶ. この辺だいたい0.1μSv/h程度.
富岡町双葉警察署横の慰霊碑: 昨年までは津波の際に避難の誘導をしながら殉職された2名の警察官の慰霊碑として津波で潰れたパトカーが置いてあったが, それは新たに建設が決まった「富岡町アーカイブ施設(仮称)」で保存するために移動されたとのこと. 傍らに立てられた震災慰霊碑と地蔵菩薩が残る. 線量0.17μSv/h.
富岡駅: 廃炉資料館やさくらモールから近い. 2014から復興し現在は駅舎と売店+食堂(KINONE)が再開している.(2017年10月から) 駅舎にも線量計があり0.062μSv/h. 海までは荒涼とした大地に処々重機で高台を作る盛土工事, 海岸には防波堤.
国道6号から富岡駅へ入る月の下交差点: 歩道橋に「富岡は負けん!」と書かれた横断幕が掲げられ, 復興を願ってここを通る人々に勇気を与えてきたが, その横断幕はこの地域の避難指示が解除された時(2017年4月)に降ろされて横の花壇のところに置かれるようになったとのこと.
帰還困難区域: 福島第一原発のある大熊町の近くは南北に約10km, 北西方向へは35kmほど伸びた範囲が帰還困難区域として立ち入り制限されている. 富岡〜浪江の国道6号は帰還困難区域を通過し, 二輪車等の人が露出する乗り物は通行禁止となっている. (並行する常磐高速は自動二輪も通行可) 国道を北上しながら処々で線量をチェックすると帰還困難区域の入口で1.6μSv/hくらい, 進んでいくと2〜3μSv/h程度の所があった. 道路の両側が森になっていたり, 谷になって水が集りそうな場所で線量が高いようだ. バリケードに閉ざされたまま変わらない住宅地(バリケードは住宅地の防犯のためであり, 放射線の危険を示すものではないようです), 地震で損壊したときのままの姿で佇む店舗や事業所など, そして処々に置かれた線量モニタや帰還困難区域に関係する標識.
(これはスクリーニング場として使われた結婚式場)
浪江町 町営墓地慰霊碑: この辺まで来ると線量は普通(0.07μSv/h). 津波に洗われた土地は荒涼とした草原. 海岸付近に道路ができていて, 護岸に使うテトラポットの製造所や除染廃棄物置場があったりする. 農地として復旧する作業をしているのも見られた.
墓地には各々の区画に震災犠牲者の慰霊塔やお地蔵様が立つ.
耕している.
広い平らな土地, つまり元は良い農地だったような所ほど津波の被害は大きかったのだろう. そういう所に慰霊碑ができている.
相馬市 大浜海岸近くの慰霊碑
急に土砂降りの雨に遭った.
相馬市 原釜海岸慰霊碑, 伝承鎮魂記念館
仙台市 荒浜小学校(震災遺構), 慰霊の塔・観音菩薩像: 荒浜地区は平坦な砂浜の海岸で津波によって地区全体が壊滅. 最も高い建物だった小学校(4F建て)の屋上に避難した人たちは全員救助された. 小学校は震災遺構として保存されて内部が公開され, 当時の被害状況や経過の展示, ビデオなどを見ることができる.
荒浜地区のもとの姿がジオラマで展示される
これが今.
海岸に建てられた観音像. 私たちが20分ほどいた間にも, バスや乗用車で来た多くの人が手を合わせていた.
女川町 地域医療センター, 七十七銀行慰霊碑: 東北電力女川原発のある女川町は, 入江の奥にある漁業の町であり, 15mの津波で5F建ての町役場も含めほとんどが水没したという. また, 高台にある原発に避難して助かった住民もいたとのこと.
要塞のような20mの高台にあった病院も1Fが津波で破壊されたが, 比較的早く復旧・改修されて地域医療センターになっている. そこから見た港と周辺.
銀行員13名が指示により近くの高台ではなく2F建てビルの屋上に避難し, 結果的に助からなかったとのこと. 医療センターの下にその犠牲を悼む慰霊の場所がある.
この町には以前, 原発の防災訓練で訪れたことがある. その時泊まった谷あいの宿も, 訓練が行われた役場のオフサイトセンターも無くなった.
岩手県陸前高田市 奇跡の一本松: 津波を受けて奇跡的に生き残った1本の松の木が「奇跡の一本松」と呼ばれていた. その後枯死のため人工物で置き換え保存されている. ここについたのはもう暗くなってからだった. 一本松は海岸に造成されている公園(?)の中にあるが, 周辺は工事現場で残念ながら立入禁止らしい. 離れた所から闇の中に照らされる一本松を見つけた.
帰路(南下)は高速道路で. 高速は国道6号と比べて線量は低い. 富岡IC〜浪江ICで帰還困難区域を通過し線量は最大2.4μSv/h, 二輪車も通行できるが並行する国道6号へ出る大熊ICは出られない.
高速道路には処々放射線量率を測るモニタリングポストが設置されていて, 現場での表示の他, サービスエリアのパネルに数値がまとめて表示されていた. 最大は大熊で2.4μSv/h.
津波の犠牲となった皆さん, 避難生活の中で亡くなった方, 救援活動や復興作業で亡くなった方の冥福を祈る. そして, 復興が進むこと, 廃炉作業が安全に進むことを祈る.
<合掌>