親戚の中に祖父(=先代住職)のファンのような方があって, その家の法事の時にその方から祖父にまつわる話をいくつか聞いた. その2つ.
- 祖父が般若心経を生涯にウン万回誦んだのだが, その計数に祖父が使っていた百玉の数珠があった. それを形見として受け取って愛用しているということで, それをポケットから取り出して見せてくださった. 私にも懐かしい品だった.
- 祖父が般若心経の講釈をしてくれたことがあり, その中で他でどこでも聴いたことのない解釈をされた. 「冒頭の『観自在菩薩』, 自分を観よ. そこに菩薩が在るではないか」そこから説き始められた....
観音様の名前を全く独創的に解いたもの, 見慣れているけど気づかなかった意味をパッと眼の前に広げて見せられたようなインパクトのある言葉だ.
大乗仏教の興隆で何となく主人公がお釈迦様から観音様に代わったような感じがするのが般若心経や大悲心陀羅尼, 観音経などの日本でポピュラーなお経だが, その観音様の名前にお釈迦様の一貫した教え「自灯明, 法灯明」が込められていたという気づきなのかもしれない.