三昧(さんまい)という言葉の由来は, サンスクリット語のサマーディ(samādhi)で, これはインド由来の瞑想で達する境地のことを意味する(Wikipedia). 「定」とも訳される.
定まっているとはつまり, 安定点に落ち着いて動かないことなのでしょう. 「ハマる」という言葉とも通じる気がする.
「〇〇三昧(ざんまい)」という言い方は「むやみやたらと○○する」とか「○○し放題」とかいう意味に俗用されるのは周知の通り. 祖父が健在のころ, たまに「○○三昧」と話していたのを思い出す.
遊びであれ仕事であれ, あるいは念仏であれ勤行であれ, 何かにハマって心がそこに完全に浸っているとき, たぶん瞑想の境地と同じような精神状態になっていて, それが人の心に癒やしや創造性までもたらすのではないかと思ったりする.
今週末は法事が連続していたり, 今朝は坐禅会, 真幸会の皆様による境内のそうじ, 加えて町内会の会館そうじ当番まで当たっていたりして, そうじ三昧, ほうじ三昧, 坐禅三昧みたいな感じ.
今朝の坐禅会では天気が良ければ坐禅前に皆さんに明けの明星(金星)をご覧いただこうと思っていたのだが, 予報は曇りだった. ところがちょうど坐禅の直前になって晴れ上がり, 金星を見ることができた. 参加されたのはいつも早朝にお参りされる方おひとりだったが, 見て喜んでいただけて幸いでありました. お釈迦様が7日7夜の坐禅三昧の後に, 昇ってきた明けの明星をご覧になって悟りを開かれたという, その明けの明星ですから.
「忙しい」というと心を亡くすと書く. この言葉はあまり好きでない. 「○○三昧」に言い換えると, することがたくさんある中でもひとつひとつにハマって, 悟りが開けるかも(!)と思ったりする.
↓写真は3/8の朝, 青空の中の金星. このところ金星は半月型をしています.