12月8日はお釈迦様が悟りを開かれた記念日「成道会」ということに, 日本ではなっている.
あらゆる苦行を試みた後にそれでは解決できないと考えて山を降り, 村の娘スジャータが供養する乳粥を食べて体を癒やし, 菩提樹下で坐禅して暁の明星を見て悟られた, という話である.
その話はどこから出てきているのだろう? と出処を知りたくなる. あまたある後代の尾ひれのついた仏典(ふだんお勤めで唱えるのはみんなこの手)の先に, 恐らく釈尊の事実に最も近いことが記された, 原始仏典と言われる古い文書がある.
原始仏典を解説したこういうサイトがあった.
悟りのところを抜粋すると...
このような苦行に集中したため、何度も気を失ったり、死にかけたりしたことが伝えられている。
さすがのゴータマ・シッダールタもこのような苦行から何も得ることができないことに気づくのである。
彼は遂に苦行を捨てるのである。
シッダールタの苦行を見ていて密かに心をいためていたスジャータという村娘の差し出す乳粥を食べ体力を回復したと伝えられる。
その後、悟りを必ず達成しようという一大決心のもと、吉祥草を敷き菩提樹の下で澄心端座(坐禅)する。
ある日彼は深い禅定に入ったまま夜を徹して坐禅を続けた。
そのまま早朝に至り、ふと眼を上げて暁の明星を見て大悟し、ブッダ(覚者)としての自覚を得たと伝えられる。
それはシッダールタ35才の時であった。
その「大悟」の内容が何だったか, 「相応部経典」によると...
わたしの悟り得たこの法は深遠で、理解しがたく、さとりがたい。
静寂であり、卓越していて思考の領域を越える。
微妙であって、ただ賢者のみよくそれを知ることができる。
ところが、世の人々は五つの感覚器官の対象を楽しみとし、
それらを悦び、それらに気持ちを高ぶらせている。
それらを楽しみとし、それらを悦び、それらに気持ちを高ぶらせている人々にとって、実にこの道理、即ちこれを条件としてかれがあるという縁起の道理は理解しがたい。
また、すべての存在の静まること、すべての執着を捨てること、渇欲をなくすこと、欲情を離れること、煩悩の消滅すること、それが即ち涅槃であるというこの道理も理解しがたい。
「縁起」の道理から苦しみを離れ煩悩の炎の消えた静かな境地に至る道ということ, でもとても理解が難しいらしい.
上のサイトのホームページから, 筆者のプロフィールを見ることができる. その生活は, たぶんほとんどのお坊さんよりもずっと深く禅と仏教を探求している方のようにお見受けする.
相当な量の探求の成果が記されていて, 一読に値するサイトかも.