風来坊@真幸福知

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「こぎれい」と「こぎたない」の狭間

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三省堂スーパー大辞林によると

  • こぎれい(小奇麗): 整っていて, さっぱりとした快さの感じられるさま
  • こぎたない(小汚い): どことなくきたない, うすぎたない

とのこと.

参考に, きれい(綺麗)は「(3)よごれがなくさっぱりしているさま. 清潔.」とある.

「きれい」と「こぎれい」の差は, 前者が清潔度や美的価値をフラットに言うのに対して後者は整理(選択と配置?)など「人の手」の入っている点に着目しているということなのだろう.その「人の手」のセンスの良さを認める控えめな賞賛の言葉かもしれない.

「こじゃれた」という言葉をテレビで竹中直人氏などが, どこかのお店を形容するのに度々使っているのを聞きながら, なんで単に「洒落た」とか「お洒落な」と言わないで「小」をつけるのか, 訝しんだことがある. たくさんの店を見て知っているという経験と知識を背景にもつ人っぽい話し方として, 「こ」をつける自分の言葉に陶酔してんのかな?とか, 批評家臭い言葉遣いのような...とか, ちょっと気持ち悪さのようなものも感じながら.

これも店主のセンスとか存在感への賞賛を心に抱きながら発した言葉なのかと思えば少し納得する気になってくる. (でも私の辞書には入れないだろうね)

さて, 「小汚い」の方は, ただ「汚い」と言う時のフラットな調子に対して, かえって汚さを強調しているようにも聞こえるような気もする. かといって「すごく汚い」と言っているわけではなく, しかしこれは「すごく」の婉曲表現なのだろうか?...

そして, ふと思う. これは対象の状態よりも話し手が心の中に抱く嫌悪とか, 軽蔑といった感情を込めているのではないか... この考えが浮かんだとき, 何か理解できたような気がしてきた. 「小汚い◯◯」というとき, もしかしたらその汚さは対象というよりも話し手の心の中にあるのではないか? とも思ってみたり... (まあ, これも私の辞書には入らなさそう)

「小汚い小僧」「小汚い野良猫」「小汚くて小賢しい小娘」..何となくワルモノのセリフっぽく聞こえる(笑)

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こんなことを考えているのは, 1週間ほど掃除もせずに強風や雨や次々と生えてくる草を放っておいた庭を久しぶりに掃除しながら.

荒れ果てているわけではないが, 人の手から自然へとだんだん還りつつある過程が目に見える. 小ぎれいでないのは確かだが, 小汚いというわけでもなさそう. 自然の大きな力の前に, 人間の小さな力でささやかな抵抗を試みながら, ちょっとだけ「小ぎれい」になったような気分を味わってみるのも, 身心の健康の足しになるかも.

花祭りの行持の前後の雨風で庭の花々はほとんど終わった. それとともに, 高度2〜3mでホバリングしながら縄張りを見張っていたクマンバチ(マルハナバチ?)たちも姿を消した. 彼らはどこから来てどこへ去っていくのか...

空とは, 関わりあって存在しているという意味だという.

数年間見逃していた季節の移り変わりを見ている気がする.