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Safety culture (安全文化), 今は規制者に問われている

きまぐれ日記 Technology

 

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日韓中台で2年毎(?)に巡回して開かれているNUTHOSという原子力の国際会議がとなり町の慶州で開かれている. 今回は11回目でNUTHOS-11. 同僚が現地運営委員会やってるから超忙しそう. 学生たちも会場スタッフとして駆りだされている.

初日の全体セッションで元原子力安全委員長の斑目先生の告白のようなスピーチがあった. そこで「安全文化」という言葉も出た. この言葉はその後のパネルディスカッションなど, 会議の中で何度か出てきた.

(斑目先生は風刺マンガで事故当時の委員長として対応の様子を描かれている. たまに登場される奥様の一言がよい. 内助の功か. => 斑目先生のマンガのサイト)

日本は「強化された」規制の元でこの数年間各発電所の新基準対応(改造)が行われて再稼働が始まっている. 韓国では発電所の重大事故(シビアアクシデント)対応ガイドラインを審査の対象とすることで, 重大事故を規制の範囲に含める法改正が今年6月に施行され, KHNP(韓国水力原子力)は3年以内に対応する書類提出が義務付けられたのでシビアアクシデント対策の有効性評価など急ぎの研究ニーズが生じたりしている. 各国がいろいろな形で規制を強化している.

「安全文化」という言葉が出てきたのはチェルノブイル事故の後だったと記憶しているが, ふと気づいたのはその意味が福島事故後に実は変わっているということ. 以前のそれは旧ソ連の驚くような実態の問題を指摘していた. 規則が現場でほとんど無視され, その結果無謀な実験で原子炉を暴走させたということで, 「存在する規則」を「順守」することに主な意図があったと思う. つまり指摘の行く先は被規制者.

しかし, 福島事故後に国際的に指摘されていることは, 日本の規制システムが新たな知見を考慮して安全の確保(リスクの管理)を常に最適化するようにはたらいていなかったこと, 規制システムの制度とモラルの問題だ.

福島事故以降「安全文化」という言葉を耳にする度に何か空虚な感じがしたのは, この変化にピンときていなかったからか... それが今回の会議での気付き.

日本では重大事故について'90年代からアクシデントマネジメントの整備という形で考慮されたが, 規制要件にはならなかった. 自然災害やテロなど外部要因を考慮した安全評価も研究段階で止まっていて規制に取り入れられなかった. 重大事故が起これば大変なことになるから, 事業者自らそれを防止するために努力すべき...という論理は, 現実的には法的なインセンティブもペナルティもなしには望めない空想ということなのだろう. (産業界の技術基準もできたりしていたのだが新設炉用)

福島事故以後, 「規制機関の独立性」が大事という話もあるが, 「孤立性」が問題視されたりもしてきた. これは多かれ少なかれ儒教的な文化背景を持つ東洋の国々で特に注意を要する問題だと思う.

例えば, 規制機関が定めた基準や審査で指摘する問題について, もしそれが安全を最適化する観点で適切と言えないような要求だったとき, 被規制者はそれを是正するように反論するだろうか? 早く規制にパスするためにとりあえず合わせようとするだろうか?

日本や韓国の場合, 後者のケースが多い(西洋と比べて). だから, なおさら規制機関の責任が大きく, 実際に現場のリスクをトータルで減らすためには何が必要か, それに害を及ぼす要因は何かを正確に知っている必要がある. 間違うと害が大きい. 現実を正確に把握するためにはコミュニケーションが不可欠.

日本の状況は, 問題ない原子炉も全て止めてしまって新基準にパスするまで運転できなくしてしまった. 発電所は電気を作って売らない限り維持費が毎日損失を生む. 安全向上のための財源も電気を売って初めて確保される. 息の根を止めておいて仕事をさせても, 慎重に検討され最適化された安全対策が期待できるわけがない. ペナルティ? その影響はベストではない安全対策と電気料金値上げとなって社会に還元される.

電力会社も企業である限り, その行動は経済という境界条件の中に存在する.

経済を無視して「安全第一」を叫ぶことは, 生理学を無視して体質改善を強制すること, 技術を無視して経営圧力をかけることと結局同じ禍を生む.

今回の会議でも"safety first"という言葉も出たが, それが"safety culture"と同じと思って言ってるとしたら, 再び誤解の始まりじゃないか? 「安全第一」のオリジナルは「安全第一, 品質第二, 生産第三」(USスチール, 1912). 安全は生産の前提という位置づけ.