知人から休学中の大学院生が他界したとの連絡を受けた. 詳しい事情は分からないが, 時々体調が悪いと言って休養していた学生であり, 鬱病の治療を受けていたと聞いている.
そういう状況で突然の訃報. 敢えて言うが, 自殺では?という思いが浮かぶ.
故人の冥福とご家族の今後の平穏を祈るばかりである.
こんな話で敢えて切り出すのは, こういう悲しい出来事が多少でも防がれる可能性があるなら, 私の考えたことを記しておこうと思うから.
私も30年近く前, 日本の大学院で博士後期課程の学生だった. 大学院の修士から博士後期課程の5年間は人生でいちばん高密度の学習をさせていただいた期間であると同時に人生で二番目に辛い期間でもあった.
先端的というわけじゃない自分の研究が泥臭くパッとしない気がしたり, 同級生が既にジャーナル(研究分野の専門誌)に論文を載せたとか, 学会で賞を取ったという話を聞いたりすると, 焦ったり嫉妬したり... それがまた自己嫌悪とストレスを加重した.
研究室という狭い空間の中で教授や助手(今は助教というらしい)からある程度の信用と期待を受け, 下級生からは何かすごい人みたいに思われて頼られることもあって充実感を感じる瞬間もある. しかし論文を出して学位を取って出ることができなければみじめな落伍者. そして自分の研究をどう発展させ, まとめれば良いのか, 全く五里霧中を手探り状態である.
だが一方で, 身の回りには博士をとるのをやめて去る先輩もいたりして, ダメなら社会に出て職を探せば良いという一種の「逃げ道」があることはストレスをある程度緩和してくれていたと思う. 大学外に既に研究現場で働く先輩がいたことも大きな心の支えだった. 最終年度になって研究をまとめる見通しが立たずに悩んでいたとき, 「博士論文てものは木に竹を接ぐようなもんだ. ジャーナルに載った論文が2, 3あるなら, 屁理屈でもこじつけでもいいから話をつなげて書いちまえばいいんだ」という貴重なアドバイスをくれた先輩もいた. お陰で, 自分の納得の行く論文を書くために一年延長するなどという不要な苦労をせずに(あるいはそれでつぶれるリスクを負わずに)何とか学位をとって出ることができた.
結局, 大学院という, 学習の場でありながら失敗の可能性に対するセイフティネットの無い妥協なき研究現場でもある関門を生きて通過するためには, 頭の良さとか技術的能力とは違うものが必要に思う. 目の前の苦しく悲観的に見える現実から小さな光を見出す楽観力, あるいはそれを支え育む人的関係, また, 時にバカバカしく聞こえる先達のアドバイスを受け容れる柔軟さとか, 成功するかどうか分からない面白そうだが面倒くさい作業にとりあえず没頭してみる遊び心とか... そういうものを見て入学させるべきなんじゃないか?
韓国の大学で働いていた時に学生たちを見て感じた危機感がある.
過度の学歴社会でありながら高学歴者の就職難を抱える社会の中で, 彼らは何を求めて大学院にやってくるのか? 小学生の頃から競争に勝つための塾通い, 遊びといえばゲーム, 日本の子供たちほど自然の中で遊んだり, 趣味や課外活動でスポーツや芸術にハマる機会もなく, ただ優秀と形容されて一流大学の博士課程にやってくる...という構図.
効率重視なのか分からないが, 一度も「研究論文」を書かずに学部を卒業し, 「修士・博士統合課程」5〜6年間で博士論文ひとつを書いて学位をもらうコース. これが危うい.
博士課程を5年くらいやっても1つもジャーナルに論文が出ない学生など, そもそも研究に向いていないのにこんな所に来ちゃったんじゃないかと思われるケースがある. 学部で卒業研究をやって論文を書かせれば(学部はジャーナルに出せる水準は要求されない), その時点で本人は研究がどんなものかを実感する経験を得られる. それを一生やりたい者は博士課程に行けば良い. 実感なく, 空想の中の研究職を目指して博士課程に来て何年もたってからやっと自分がそもそもそういう仕事に向いていなかったと気づいた時, 流れてしまった年月が切実なストレスの重みとなってしまう.
(統合課程でも, 博士学位に満たない成果を修士論文として提出し, 修士号を取って出る「逃げ道」はあるとのこと)
学位を取るのに苦労して, 自分は向かないんじゃないかと思い始めた大学院生がいたら, 私はこうアドバイスしたい: 世の中にはいろいろな世界がある. 学位にこだわらなくても, 自分が人に喜びを与えることのできる特技が一つあれば, それを活かしてできる仕事があるはず. そして何でも仕事をやれば, お金の他に得られるものは必ずある. 全てが嫌になったら, 出家してみたら...
くれぐれも, 彼の学生さんの冥福を祈る.
合掌